彦根城です

マツケン

2012年02月05日 00:25

国宝4名城である、彦根城を訪ねました。ついてびっくりしましたが雪が多くて、聞いたらおととい40cm以上降ったとのこと。諏訪より多いです。


とにかくこの手のものは私は大好きで、到着すると体中にジュワーとアドレナリンが回るのである。最高です。


彦根は江北と江南を結ぶ戦略上の拠点である。この場所に徳川家康は徳川四天王の井伊直政を封じた。彦根藩は35万石である。


幕末に大老となった井伊直弼が有名だが、この人は若いころ不遇な境遇(部屋住みのため)で15年も埋木舎と呼んだ屋敷に住んでいた。



明治維新のときは徳川四天王といわれた、彦根藩もあっさり幕府を裏切り新政府に味方しました。




天秤櫓の向こうに見える、関ヶ原の戦いの事実上の主将であった石田三成の居城跡、佐和山です。私は石田三成という人は好きで、彼の家紋は大好きだ。英雄というのは彼のことである。たとえ野辺にその屍をさらしても英雄というのはそのようなものである。勝敗は英雄の常であり、当時誰が徳川家康に刃向い大軍を主宰し、天下分け目の戦を起こすことができただろうか。




それに比べて、毛利輝元のだらしなさはどうであろうか?あきれてものも言えない。家康に刃向うのなら徹底的に、我とお家をすりつぶす覚悟、滅亡してもやり抜く根性がなければ、勝てるわけがない。相手は巨人武田信玄に敗けるとわかっても真っ向・直球勝負して大敗したあの家康である。



武田勝頼を見よ、我とお家を滅亡しても、とことん信長・家康と戦ってではないか。輝元は中途半端に大阪城に居たので防長2州に押し込められてしまった。戦わなければ、これまた家康に土下座の一つもして服従するかでしょうよ。中途半端である。





石田三成家紋「大一大吉大万」





鐘の丸と天秤櫓をつなぐ渡り橋、有事にはこの橋を落として守ったとのことである。













紺碧の冬空に映える三層三階の天守、国宝です。慶長12年(1607年)に完成。
















天守内部






天守から見える琵琶湖と湖西の風景







彦根藩の下屋敷である、大名庭園の玄宮園、息をのむ美しさだ






玄宮園から天守を望む。真ん中に見えるのは茶室の鳳翔台。500円で抹茶が飲める。世が世ならここには入り込めない場所である。





玄宮園の壁が続く






重文である佐和口多門櫓













ただただその美しさに感動






中級武士の旧鈴木家の長屋門





江戸時代の街並みを再現した夢京橋キャッスルロードでの昼食。彦根牛のハンバーグ、1000円でした。





彦根藩家老職の旧西郷家の長屋門。今でいうと代表取締役専務の家です。豪壮な佇まいです。西郷氏は遠江出身で3500石(すごいです)。家康の命令で井伊直政の付け家老になったらしいです。ちなみに井伊氏も遠江(井伊谷)出身で直政の父の時に在所を追われ、流浪している時に家康の家臣になった。






かんぽの宿「伊吹薬草湯」から見る琵琶湖。琵琶湖を間近で見るのは初めてでした。琵琶湖=近つうみ=近江の国です。ちなみに「遠いうみ」は浜名湖です=遠江の国)

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