出雲への旅

気の置けない友人たちと出雲へ行ってきました。

出雲大社は初めてでした。とにかく広大な敷地に驚き、暑さにも参りました。意外と人出が少なかったです。















次に境港へ立ち寄り、ゲゲゲの鬼太郎たちに会いに行きました。





















当日は松江に泊まりました。水の都で、きれいな町でした。
翌日は国宝松江城の見学。














最後に安来にある足立美術館へ。ここの日本庭園の素晴らしさは言葉で表すことができません。美しいものを見ることが出来ました。

出雲はなかなか来れない所ですが、どこも素晴らしい場所で良い思い出になりました。













  


Posted by マツケン at 09:58Comments(0)旅行

高山を去り平湯に浸かる

高山もそろそろ去る時が来ました。ぶらぶらタウンウォッチングして、宮川に差し掛かるころは雪もやみました。



雪もやんでくっきりと宮川の風情




宮川にかかる中橋界隈






宮川です






安房トンネルの手前、平湯温泉バスターミナル3階の展望風呂につかる。絶品でした。お湯よし、すいている、湯温高い、景色雪でダメ。





帰宅して高山で購入した地酒「深山菊」とじもと「赤カブ漬け」で一献。






高山の地酒「深山菊」醸造の(有)船坂酒造店。この店の奥にはレストランがあります。昔の造り酒屋を改造して、中庭もある素敵な店です。ものすごく売れてました。絶句です。



この冊子は(有)船坂酒造店のもの。創りはかなりクオリティーが高い。写真もプロが手掛けている。これだけで(写真撮影)数十万円だ。それと用紙をサイズ定型ではないタイプを使っていて、しかもマットコートである。マットはしっとりとした仕上がりの高級感が出る素材だ。フォトグラファー、デザイナーから広告会社までプロの手が入っているものである。



この冊子でこの会社の伝えたいことはしっかり表現できている。しかも最後に通販のお知らせがある。しかも①NET②電話③FAXだ。


①は50歳以下向け、②と③は50歳以上向けだ。しっかりマーケティングをしている会社であることがわかる。










  


Posted by マツケン at 22:19Comments(0)旅行

飛騨高山をいく→高山らーめんは如何に?

街ブラをしました。マーケッターとしてはどんな街づくりをしているか楽しみです。というか、岡谷に比べて全然違います。高山市は人口92,000人、飛騨の小京都と言われた街です。趣が違います。岡谷は工業都市でプロレタリアの街です。



高山の中心を流れる宮川。京都鴨川の趣です。






古い街並み。街づくりに全体で取り組んで、全国から観光客がきます。今日も冬の雪空のもとたくさんの観光客でにぎわっています。おそらく子供を除いて、客単価は5,000円とみました。食事とお土産などなど。


























高山ラーメン「桔梗屋」です。これは持ち帰り500円。





鶏がらスープです。大盛り750円。旨かったですが・。塩ラーメンに近い味でした。素朴な味ですが、残念ながら60点です。減点①麺が伸びきっている。②スープがぬるい。③麺を上げるときにつゆ切りがしていない④何よりもラーメン店本来のキレがない=マネジメントにだらけている。





有名店でありながら、自分の商品のクオリティーを上げることをおろそかにしている。残念です。幸いなことにこの高山は街づくりに成功しているケースですので、今は安泰ですが、マーケティングをおろそかにしていると跡が怖いです。



この話は落ちがありまして、店主があまりにも年を歳をとっていて、店のマネジメントできていませんでした・・。もう引退でしょう。








  


Posted by マツケン at 21:43Comments(0)旅行

彦根城です

国宝4名城である、彦根城を訪ねました。ついてびっくりしましたが雪が多くて、聞いたらおととい40cm以上降ったとのこと。諏訪より多いです。


とにかくこの手のものは私は大好きで、到着すると体中にジュワーとアドレナリンが回るのである。最高です。


彦根は江北と江南を結ぶ戦略上の拠点である。この場所に徳川家康は徳川四天王の井伊直政を封じた。彦根藩は35万石である。


幕末に大老となった井伊直弼が有名だが、この人は若いころ不遇な境遇(部屋住みのため)で15年も埋木舎と呼んだ屋敷に住んでいた。



明治維新のときは徳川四天王といわれた、彦根藩もあっさり幕府を裏切り新政府に味方しました。




天秤櫓の向こうに見える、関ヶ原の戦いの事実上の主将であった石田三成の居城跡、佐和山です。私は石田三成という人は好きで、彼の家紋は大好きだ。英雄というのは彼のことである。たとえ野辺にその屍をさらしても英雄というのはそのようなものである。勝敗は英雄の常であり、当時誰が徳川家康に刃向い大軍を主宰し、天下分け目の戦を起こすことができただろうか。




それに比べて、毛利輝元のだらしなさはどうであろうか?あきれてものも言えない。家康に刃向うのなら徹底的に、我とお家をすりつぶす覚悟、滅亡してもやり抜く根性がなければ、勝てるわけがない。相手は巨人武田信玄に敗けるとわかっても真っ向・直球勝負して大敗したあの家康である。



武田勝頼を見よ、我とお家を滅亡しても、とことん信長・家康と戦ってではないか。輝元は中途半端に大阪城に居たので防長2州に押し込められてしまった。戦わなければ、これまた家康に土下座の一つもして服従するかでしょうよ。中途半端である。





石田三成家紋「大一大吉大万」





鐘の丸と天秤櫓をつなぐ渡り橋、有事にはこの橋を落として守ったとのことである。













紺碧の冬空に映える三層三階の天守、国宝です。慶長12年(1607年)に完成。
















天守内部






天守から見える琵琶湖と湖西の風景







彦根藩の下屋敷である、大名庭園の玄宮園、息をのむ美しさだ






玄宮園から天守を望む。真ん中に見えるのは茶室の鳳翔台。500円で抹茶が飲める。世が世ならここには入り込めない場所である。





玄宮園の壁が続く






重文である佐和口多門櫓













ただただその美しさに感動






中級武士の旧鈴木家の長屋門





江戸時代の街並みを再現した夢京橋キャッスルロードでの昼食。彦根牛のハンバーグ、1000円でした。





彦根藩家老職の旧西郷家の長屋門。今でいうと代表取締役専務の家です。豪壮な佇まいです。西郷氏は遠江出身で3500石(すごいです)。家康の命令で井伊直政の付け家老になったらしいです。ちなみに井伊氏も遠江(井伊谷)出身で直政の父の時に在所を追われ、流浪している時に家康の家臣になった。






かんぽの宿「伊吹薬草湯」から見る琵琶湖。琵琶湖を間近で見るのは初めてでした。琵琶湖=近つうみ=近江の国です。ちなみに「遠いうみ」は浜名湖です=遠江の国)
  


Posted by マツケン at 00:25Comments(0)旅行

出世稲荷神社と船岡温泉

出世稲荷神社へ行きました。この神社はもともと豊臣秀吉の京の邸宅「聚楽第」内部にあり、秀吉が勧請した神社である。時の後陽成天皇が秀吉の比類なき出世を愛で、出世稲荷神社と命名したらしいです。目立たない小さな神社であるが、知る人ぞ知る神社で一部の人に有名な場所である。


行った時も商売繁盛を願う社長さんらしい人たちも参詣に来てました。お参りして社務所でお札をいただくため窓口に行っては見たが、いくら呼んでも誰も返事が無い。大声を張り上げたらやっと奥からお婆さんが出てきてほっとした。商売氣にない神社ですのう。出世できまへんで。



場所は二条城のすぐ裏である




秀吉大嫌いの家康にはばかり、ひっそりと暮らしてきた面影があるのだ。




お札を二つ購入した。私の分とまもなく生まれてくる孫のためだ。






最後に銭湯ファンの間では有名な船岡温泉で汗を流しました。日本最強の銭湯といわれているらしいです。ちなみに私は温泉ファンです。もともとは料亭だったようです。なんとも不思議な銭湯である。



脱衣所の内部にある、欄干の彫刻と極彩色のタイル



不思議な世界である




風呂の中に池がある。しかも緋鯉が泳いでいた。絶句・・。



船岡温泉正面


場所は北の天満宮の近く。銭湯代は410円。お風呂は露天風呂、檜風呂、サウナ、電気風呂、高温深風呂、薬風呂、泡風呂、打たせ湯などなど・・。

いや実に面白い銭湯です。

  


Posted by マツケン at 22:52Comments(0)旅行

二条城をゆく

二条城にやってきました。目当ては城郭建築です。特に狩野派の襖絵に注目です。



堂々の大手門



豪華絢爛の唐門




内堀です。ため息の出る美しさです。




伝小堀遠州作の庭です。美しいです。




天守閣跡から臨む内堀です。




豪壮な石垣
  


Posted by マツケン at 22:30Comments(0)旅行

京うどんを食す

お昼に漬物バイキングを食べる予定であったが、待っている人が店の前にずらり並んでいて、聞けば1時間待ちとの事。諦めてふらりと立ち寄ったうどん屋さんが当りました。出汁が薄味ながらもしっかりしていて抜群の味でした。田舎では食べられない味でした。いや京都は奥くが深いです。



鍋焼きうどんです




この坪庭が良いです
  


Posted by マツケン at 22:19Comments(0)旅行

京都東山界隈

京都で一番好きな東山界隈。京都らしさが残っている静かで落ち着いた場所。時期になるとライトアップもされるので綺麗です。


ねねの道




清水焼
















一年坂









豆腐まんじゅう(200円)。中におからが入っているほんのり甘くて不思議な味でした。




八坂の塔




今日も元気で売っている、山椒じゃこ。




石塀小路「デュ・ラン」の壺庭





  


Posted by マツケン at 22:13Comments(0)旅行

そうだ京都へ行こう

ぶらり京都へ行ってきた。日帰りの強行軍であるが良かったです。天気もよく爽やかで特に緑が綺麗でした。


東寺の五重塔。徳川家光の時代に再建された日本最高(55m)の五重塔である。内部に仏像が鎮座している。






東寺観智院の内部、さりげなく置かれているつくばい。大きな庭園も良いがこのようなこじんまりした、庭が好きです。そんな年齢になってきましたか・。



東寺は平安京が出来て数年で開基した古寺である。真言宗である。開祖は空海。私の菩提寺も真言宗であるが、こちらは智山派(本山は京都智積院)だ。寺内は密教芸術の宝庫で、国宝級の仏像がごろごろしている。すばらしいに尽きる。

  


Posted by マツケン at 21:48Comments(0)旅行

上越へ行ってきました⑤柵口(ませぐち)温泉~吉川鮮魚店

刺身を食べた後、柵口(ませぐち)温泉に行き汗を流す。能生ICから南に15分ほど入るとあります。大変良い温泉で、疲れも取れこの後糸魚川の吉川鮮魚店で魚(甘エビとカレイ)をお土産に買って帰路につきました。


吉川鮮魚店の親父さんとお母さんは久しぶりであったが、そのキャラは昔と変わらず懐かしかった。




柵口(ませぐち)温泉の建物。




地元の爺さん達の社交場である。スノボ帰りの若い衆も居る。
  


Posted by マツケン at 23:09Comments(0)旅行

上越へ行ってきました④食堂魚萬

先日ラグ仲間のSKさんの話を小耳に挟んだ私が早速調べて行ってきたのは食堂魚萬である。場所は能生ICからやや糸魚川よりでマリンドーム能生の先である(上越市からみて)。気がつかないと通り過ごしてしまうところである。

Netで調べたらここは旨い刺身を食わせてくれる店らしい。親父さん一人でやっているので待ち時間がかなりかかる。たっぷり40分待たされて刺身定食が出て、1時間後カキフライが出た。

お客さんは長野ナンバーのカップルと家族連れ4名。私達と練馬ナンバーの3名の合計9名プラス子供2名。この店には覚悟して入店しなきゃならん。まず待ち時間、店内は汚い。しかし刺身は旨いし何よりも親父さんが良い人だ。従って時間の無い人や、女性客には向かない。その辺を覚悟して入店するべし。小さな子供が居る家族もやはり無理かも。


あとご飯がいまいち。味噌汁も薄く残念でした。
でも刺身旨かった。





今日は冬場にしては穏やかな日本海である






見よ!この年季の入った看板。うすれて見えないではないか。暖簾も出し忘れて、潰れた店としか思えないのである





お世辞にも綺麗とはいえない店内ですが、親父さんの接客が良く気持ちが良い。




メニュー




Netの記事を読んで事前に持参したマイ醤油とわさび。理由は店に行けば判ります。




刺身定食1200円。甘エビと鯛とイカとスズキ?とハマチ。新鮮で旨かったです。カレイの空揚げもグッドです。




今日は寒ブリが無かったので、東京から来たお客さんもガッカリしていた。私はブリやハマチが苦手であるがNetでコリコリした歯ごたえが最高に旨く、こんな旨い寒ブリを食べたことが無いとの記事を見て少し楽しみにしていたが、すこしガッカリした。





単品で頼んだカキフライ。値札が無かった。たぶん500円くらい。大粒で最高でした。8個もありました。















  


Posted by マツケン at 22:56Comments(0)旅行

上越へ行ってきました③五智国分寺~御舘跡

五智国分寺です。律令時代に全国にひとつずつ造られた寺です。ちなみに信州は上田市にあります。だいたい府中に造られましたから奈良時代は上田が信州の府中だったんですね。

この国分寺は上杉謙信公が復興したものです。




江戸時代末期に復元された美しい三重塔





本堂です





現在は住宅街の中の公園になっている御館(おたて)跡。なんにも無いとこでした。謙信公の急逝後に越後を揺るがせた御館の乱の舞台です。もともとは前関東管領上杉憲政の館です。



御館の乱は天正6年(1578年)に急逝した上杉謙信公の二人の養子の家督相続の内乱である。養子の二人とは上杉景勝(謙信公の姉の子)と上杉景虎(北条氏康7男)。結果は上杉景勝が勝利し景虎は自刃した。この乱で越後国内は二分され内乱状態になり、上杉氏(府中長尾氏)はガタガタになったらしい。







  


Posted by マツケン at 22:21Comments(0)旅行

上越に行ってきました②春日山城

今回のメインである有名な春日山城を訪ねる。春日山城といえば上杉謙信公である。私の好きな戦国武将の一人だ。


謙信公の本名は長尾景虎である。代々、越後府中長尾氏は越後守護代の家柄。長尾氏は上野(群馬県)、越後(新潟県)などに諸流がある坂東平氏の出身である。本貫は相模国鎌倉郡長尾荘(神奈川県鎌倉市)。


後北条氏に追われた関東管領の上杉憲政より上杉姓と関東管領職を譲られた。49年の生涯に幾多の戦塵をくぐり抜け、かの武田信玄にも恐れられた不世出の名将でもある。今回この地を訪れることが出来て感激しました。





春日山城中腹に立つ上杉謙信公の像。何を考えておられるのか・・。






天下の巨大山城「春日山城跡」本丸まで登るつもりであったが雪も深く、冬山登山で遭難してもイカンと思い今回は断念。次回に期待する。






春日山城中腹から眼下に望む、頚城平野の冬の風景。謙信公も同じ景色を見たでしょう。






府中長尾氏の菩提寺「林泉寺」。春日山城の麓にある。謙信公はこの寺で7歳から14歳まで勉学等の修行をした。



  


Posted by マツケン at 21:58Comments(0)旅行

上越へ行ってきました①高田城跡

上越へ行ってきました。上越へは過去何回もきたことがあるが、都合で史跡等は一切立ち寄りしていなかったため、今回は一気に回りました。心配された天候も問題なく雪も降らず行けました。


高田城は徳川家康の6男の松平忠輝が慶長15年(1610年)に改易された堀家に替わり信州川中島より入封(越後と川中島4郡で高75万石)。慶長19年より築城されわずか4ヶ月で完成した城である。13大名(上杉、前田家等)の国役普請で築城された。

忠輝入封の理由は加賀前田家への牽制である。また前領主の堀家の築城した福島城を破却して新城を造ったのは大阪の陣直前の前田家等外様大名の金穀を吐き出させる為であろうか。この城の特長は天守閣が無いことと石垣が組まれていない事である。短期間に築城するためであろう。


松平忠輝はその後親父と兄に疎まれ改易。最後は信州諏訪藩に流罪。諏訪高島城の一角でその生涯を閉じた。気の毒な方である。





高田城「三重楼」復元されたものであるが史実に基づいた建物だ。雪の三重楼、風情がありますね。




極楽橋(H14年復元)。高田は66箇所の寺院がある寺町でもある。高田藩は数家が入れ替わり、最終的に徳川四天王の一人榊原家が130年間領有して明治維新を迎えた。




  


Posted by マツケン at 21:30Comments(0)旅行

飯山城址とうなぎと馬曲温泉

野沢温泉を出て飯山城址を見に行く。私はこのような城址や旧跡、などが大好きなのである。



一面雪景色の飯山地方



飯山城址本丸跡。飯山城は戦国期越後上杉謙信の信濃攻略の拠点であった。江戸期はいくつもの大名がこの地を治め最後は譜代本田家(3万5000石)が明治維新を迎えた。




飯山城の石垣。この城は千曲川沿いにあり丘陵をならした平山城である。東と南は断崖形状で西側に大手門と藩庁、武家屋敷が並んでいた様子が良くわかる。




お昼に食べたうな丼2300円也。岡谷のうなぎと違いタレが辛めであっさりしている。旨いです。





飯山のうなぎの老舗?「本田」。入店した時はお客さんが少なかったが、どうしてどうしてそのあと、続々とお客さんが来店する。およそ30名から40名位は来店しただろうか。客単価は@3000円程度であろう。いや驚きました。




木島平村の馬曲温泉。時間が有ったので温泉のはしごをした。この建物は露天風呂である。景色は絶景で@500円。ただしシャワーや石鹸、シャンプーなどは一切無い。湯加減もちょうど良い。
  


Posted by マツケン at 12:22Comments(0)旅行

北野天満宮近く湯葉の名店

菅原道真公を祭る北野天満宮近くの豆腐と湯葉の有名店「とようけ屋山本」へ湯葉を買出しに行く。この店もオンリーワンだ。駐車場が無くやむなく路駐する。店の前は黒山の人だかりである。さぞかし儲かっているに違いない。face02


私は湯葉(板状のものと固まり状のもの2種と豆腐4種類)を購入する。単価はさすがに安いがそれでも各自2000円くらいはお土産に購入した。湯葉は帰宅して酒のつまみで食したが甘みがありものすごく旨かった。

豆腐と湯葉の有名店「とようけ屋山本」



豆腐と湯葉が10種類ほど店頭で販売している。



飛ぶように売れている豆腐と湯葉。生活者がお金を持参して来るまさにオンリーワンの極地。その秘密を探るべし。face08




北野天満宮。学問の神様なので受験生で一杯。梅の名所でもある。この建物は豊臣秀頼公が寄進したものらしいです。









最後に三十三間堂へ行く。海外の観光客が多い。本堂にある仏像の迫力には鬼気迫るものがある。製作者はまさに天才である。




さすがにこの辺で体力の限界が近づき、このあと一路岐帰路についた。



今回の花園応援&京都観光ツアーも大成功で終了して、また来年の楽しみが増えたのである。そのためにはまた来年も岡工ラグビー部に花園へ出てもらいたいのだ。





「活の湯」  


Posted by マツケン at 19:17Comments(0)旅行

高台寺石塀小路

高台寺から西に入る石塀小路へ行く。石畳の小道は情緒があり時を忘れる。

石塀小路




坪庭が美しい癒しの空間「DU・RAN」。少し入りにくいがコーヒーを喫する。KSさんとSTさんはビール。夜がメインのバーである。




坪庭が見える店内。大理石のカウンターバーである。男の隠れ家的な店だ。ここのママさんから来年の企画に向けて有用な情報を得る。2次会はここに決めた。








「活の湯」  


Posted by マツケン at 18:47Comments(0)旅行

東山を散策する

朝食を三条大橋の近くのコーヒーショップで摂り、チェックアウトして八坂神社の裏に車を駐車し、東山界隈を散策する。八坂神社~円山公園~ねねの道(高台寺)~1年坂~2年坂~3年坂~清水坂というルートだ。




八坂神社、いわゆる祇園さんです。祭神はスサノウノミコト。家内安全、商売繁盛、安産を祈願した。



円山公園。桜の名所です。



高台寺あたりのねねの道


このあたりは太閤秀吉の正妻、北の政所(ねね)が晩年をすごしたところである




八坂の塔



1年坂




2年坂の甘味処「かさぎや」。竹久夢二が恋人と駆け落ちして住んだところがこの近所。二人でよく訪れたらしい。icon01


3年坂



3年坂のこのあたりでお土産を購入する。かなり高額商品であるが飛ぶように売れている。仲間はちりめんじゃこ(山椒入り1050円)や良い匂いのお線香(2100円)を購入した。商売は公でなくてはならない。サービスや商品をオンリーワンに導くための方法はいろいろある。但しこの場合は京都で購入したお土産という部分が大きい。ここにある店を諏訪に持ってきても半年で廃業だろう。



清水坂




  


Posted by マツケン at 18:26Comments(0)旅行

京都へ行く

3年前に岡工の花園応援を兼ねて京都へ行ってきたが、参加者の評判が良く今回も5名で企画した。マーケテイングでいうオンリーワンの極地である京都を見聞するのである。


京都伏見の寺田屋。薩摩藩の定宿である。幕末に薩摩の倒幕急進派が同じ薩摩藩士に粛清される凄惨な事件=寺田屋事件があった舞台だ。坂本龍馬が伏見奉行所に襲われた場所でもある。実は現在の建物は明治に再建されたものだ(鳥羽伏見の戦いで焼失)。



三条大橋の袂にある旅館で旅装を解き、一風呂浴びて祇園を散策する。写真は花見小路である。元禄時代の大石内蔵助が豪遊した「一力茶屋」の前も通った。堂々たる風格の建物である。写真は一力茶屋ではない。



先斗町の風景



今日の夕食は先斗町の和風居酒屋である。飲み放題付きで3500円ととても安い。料理も旨かった。席からは鴨川の夜景も見える絶好のロケーションだ。惜しむらくは接客がいまいちだった。


先付け(和風小皿)




お造り。この後たしか焼き物が出た(特選牛のコンロ焼き)




サラダ




メニューは京料理の懐石風。一品料理で生湯葉を食する。旨い!




揚げ物




お鍋




食事。最後にデザート(甘み)も出てきた。



宿泊した旅館はとてもリーズナブル。ルームチャージ15000円(17畳の部屋)。つまり一人3000円である。近江屋(坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された場所)跡地と土佐京都藩邸跡を見て、2次会から帰り3次会を部屋でわいわい楽しむ。気のおけない仲間と飲む酒は旨い。



  


Posted by マツケン at 23:24Comments(0)旅行