大石内蔵助の年収

先日京都へ行った時に忠臣蔵で有名な大石内蔵助が豪遊した祇園の一力茶屋の前を通ったが、私の感覚では毎晩かどうか知りませんが一晩100万円から200万円くらいは使ったのではないかと思います。その当時は大石内蔵助は京都山科に閑居して、悠々自適の生活をしていた。今までの蓄えと赤穂浅野家改易の際の分配金がふんだんにあっただろう。

さて彼は赤穂浅野家の譜代家老家である。浅野家は豊臣秀吉の正妻ねねさんの養家である。実家は杉原家。浅野家は織田信秀=信長家(尾張下四群守護代家の三奉行家のひとつ)の確か足軽組頭。赤穂浅野は分家で本家は広島浅野家だ。

大石内蔵助は知行1500石。幕末の加賀藩下級武士の家計を書いた武士の家計簿によれば、彼の年収は現在の感覚で約1億3000万円くらいだ。

知行1500石×0.32(玄米の手取り率=これは地域時代により相違あり)=480石。
480石×270,000円=1億2960万円。1石=27万円は米の金額ではなく人件費から算定したもの。

なんと1億3000万円が彼の年収だ。しかしこれで家族だけではなく家来(陪臣)を養わなければならない。家来の数はわからないが、軍役で言えばだいたい1500石の家で40名程度の軍役だ。しかし元禄時代にこの人数をまともに養う家は無いはず。おそらく10名程度くらいであろうか。家族と家来で20名くらいは養っていただろう。

まあ一力茶屋へも行けますね。ただこれは幕府を欺くもので有ったらしい。






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Posted by マツケン at 17:57│Comments(0)歴史・史跡探訪
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