諏訪高島城の桜
2011年04月15日
桜のネタが続いて恐縮ではあるが、諏訪高島城の桜をごらんいただきたい。まだ三分咲きだが、あと数日中で満開になりそうだ。
諏訪のお花見スポットの諏訪高島城
諏訪高島城は諏訪高島藩3万石の居城である。築城したのは諏訪氏ではなく、秀吉の家臣である日根野氏である。その間諏訪氏は家康に従い、群馬県総社へ移封していた。
午後前宮の前に差し掛かったら、警察に止められ多くの人だかりがいて驚いた。なにかお祭りかなと思い、早速情報通のITさんへ電話する。ITさんによると今日は御頭祭とのこと。諏訪の神様が茅野市金沢の御狩場で狩をして、神様にお供えしてみんなで一杯やり懇親を深めたらしいのだ。あの中にITさんもいたらしい。なるほどね~。歴女もしっかり取材しに来る諏訪の奇祭なのだ。
ウィキペディアより
御頭祭とは、4月15日に上社で行われるお祭りのことである。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。 現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを禽獣の高盛呼んだといういわゆる生贄に関しての内容が残っている。また御頭祭に関して、諏訪大社七不思議の一つとして、耳裂鹿というものがある。これは前にも述べた生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。
諏訪のお花見スポットの諏訪高島城
諏訪高島城は諏訪高島藩3万石の居城である。築城したのは諏訪氏ではなく、秀吉の家臣である日根野氏である。その間諏訪氏は家康に従い、群馬県総社へ移封していた。
午後前宮の前に差し掛かったら、警察に止められ多くの人だかりがいて驚いた。なにかお祭りかなと思い、早速情報通のITさんへ電話する。ITさんによると今日は御頭祭とのこと。諏訪の神様が茅野市金沢の御狩場で狩をして、神様にお供えしてみんなで一杯やり懇親を深めたらしいのだ。あの中にITさんもいたらしい。なるほどね~。歴女もしっかり取材しに来る諏訪の奇祭なのだ。
ウィキペディアより
御頭祭とは、4月15日に上社で行われるお祭りのことである。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。 現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを禽獣の高盛呼んだといういわゆる生贄に関しての内容が残っている。また御頭祭に関して、諏訪大社七不思議の一つとして、耳裂鹿というものがある。これは前にも述べた生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。
Posted by マツケン at 13:11│Comments(0)
│花