洩矢神社

岡谷市橋原にある洩矢神社である。朝の打合せが終わり、少し覗いてきた。洩矢神社の祭神は洩矢神である。いわゆる諏訪の豪族であるが、遠く弥生時代に大国主命(豊葦原中国の帝王=とよあしはらのなかつくに)の息子である、建御名方神(たけみなかたのかみ)が小野から諏訪に侵攻して橋原で洩矢神の軍勢に勝ち、諏訪を領有したらしい。


国譲りに反対した建御名方神は天孫族に敗北して、遠くここまで逃げてきた。最初は塩尻市小野に駐留して、力を蓄え諏訪に攻め入り、橋原で洩矢神を破り諏訪を領有したのである。洩矢神の子孫は諏訪大社上社の神長官家として残り、今に伝わっている。


この神社は殺された洩矢神の祟りを恐れて建御名方神が造った神社であろうか?優秀な鉄製の武器を持った出雲族には勝てなかったのだろう。ところで出雲は私の考えでは今の奈良県桜井市周辺である。いつの間にか島根県に移されたが、本来は桜井市周辺である。三輪山の近くにある大神神社は大国主命を祭神にしている。

神社は鎮魂の場所であり、怨霊を封じ込めためのものであることが多い。京都の北野天満宮は藤原氏に粛清された菅原道真の怨霊を静めるため藤原氏が作ったのである。



高天原はたぶん①九州②朝鮮半島南部のどちらかであると思われる。その天孫族は天皇家の先祖とされているが、宮内庁は伝天皇陵の調査を認めていないので実態はわからない。


古代史はロマンやね。かの在野の考古学者藤森栄一先生も言ってます。考古学は人間学であると。





洩矢神社



洩矢神社


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Posted by マツケン at 23:15│Comments(0)歴史・史跡探訪
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