奥三河の旅②

天正3年5月、武田信玄の跡を継いだ武田勝頼(30歳)は1万5000人(諸説あり)の軍勢を率い、長篠城を包囲した。城主は山家三方衆のひとつ作手の奥平貞昌(21歳)である。城兵500名でよく守りぬいた。



奥平氏は武田信玄時代は武田氏に服属してたが、信玄死去後離反して徳川氏に服属し、長篠城を奪い取って、武田勝頼が攻めたものである。



落城に手間取る間に織田信長と徳川家康の連合軍38,000人(諸説あり)が長篠城の西方の設楽が原に布陣して(5月18日)、武田軍が前進し戦いになった。5月19日のことである(現在の暦で7月9日)。




有名な火縄銃3000丁の3段射ちや馬防柵で武田騎馬隊を破り大勝したと伝えられている戦いである。





長篠城本丸の土塁
奥三河の旅②




本丸と帯廓の間の空堀と土塁。堀は深く土塁は堅牢だ。
奥三河の旅②



長篠城本丸。今は車で直接本丸まで行けるが、当時は本丸、帯郭、野牛郭、弾正郭、巴城郭、ふくべ郭等があり、水堀と空堀と土塁、板塀や柵で区切られていた堅牢な城であった。
奥三河の旅②



長篠城本丸、かなり広い。
奥三河の旅②




鳶ヶ巣山砦を本丸より望む。5月20日の夜徳川家の武将、酒井忠次率いる4000名の部隊が武田家親類衆である河窪信実(信玄弟)他が守るこの砦を夜襲して、奪う。これにより後背地に敵に進出された武田軍は窮地に陥る。
奥三河の旅②














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Posted by マツケン at 21:27│Comments(0)歴史・史跡探訪
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