奥三河の旅④

帰りはまさに武田勝頼公の敗退路をたどってきた。長篠~設楽町~根羽~平谷~飯田である。およそ100キロの工程だ。織田信長は5日で岐阜から設楽ヶ原に着陣している。勝頼は約15日間くらいで甲府へ帰っている。長篠から甲府まで約300キロくらいだ。しかも途中は険しい山路である。


その道すがら、彼はどのようなことを思ったでしょうか?悔恨と前途の再建を思いながら長い山道を行ったことでしょう。主従4騎しかいなかったらしいですし、途中の国人領主の城に立ちより、休憩を所望したところ裏切られて、休憩できなかったらしいです。


どうも武田信玄は好きではないですが、勝頼公は諏訪の血が半分入っているので、肩入れしたい気持ちですよ。



武田勝頼この時30歳、7年後の天正10年春に織田軍に攻められて、甲斐の国天目山の麓の田野という山の中で滅亡する。信長もわずか数か月後、本能寺で明智光秀に裏切られて滅亡・・。

長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)当時、織田信長は42歳、徳川家康34歳、羽柴秀吉39歳である。





平谷温泉「ひまわりの湯」正式には鉱泉でしょう。湯音が32度しかないです。ぬるかった・・。でも中の設備は一流でした。
奥三河の旅④


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Posted by マツケン at 23:39│Comments(0)歴史・史跡探訪
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